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2004/04/03(土)
歌うこと 演じる事
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2004/04/03(土) 02:02 歌うこと 演じる事 歌うことが好きで、通ってくる人がいます。 ピアノが好きで、通ってくる人がいます。
ホッとする為に、通ってくる人がいます。
専門は歌じゃないけど、ステージに上がる仕事してて
ソレに必要な、発声その他の何かを、追及するために
通ってくる人がいます。
気がついたら、同じ事を 違う深さで その人たちに言っている
そして まぎれもなく 僕自身にも 言い聞かせている 僕がいました。
表現しようとするものを 味わって 味わって、歌い演じてみる。
そうやって深く味わうほどに、勝手に出てくる もの が、
その人の 色。
計算して 作って塗る色には無理が出る。
よく アマチュアのバンドの子達が、 うちのバンドのカラーは、
どうだのこうだのって熱くなって議論してるけど、 僕は結構、
そういう人たちの事、申し訳ないけど、冷ややかに見てる。
熱くなるのは一生懸命で 素晴らしいけど、熱くなる場所
違うんじゃないの? って。
たった一音節 AH−と 四小節足らずの♪で綴られたコーラスを、
たった 一言 「ああ〜」だけの 台本の一部の台詞を、
何百通り 何千通りも 歌ってみて、言ってみて、
済んだ空を西から東へ真っ直ぐに渡る 飛行機雲のような
AH− や、 そのキャストが、芝居の中では語られていない、
ソレまでの生い立ちまでもを 否定された瞬間の絶望感を
しっかりと匂わせる 「ああ〜」にたどり着く姿を
あの子達は見たことあるんだろうか? って。
それどころか、そんな深いものならいい。でも
要求されてるものが、本当に 意味の薄い 何気なーい
AH− や 「ああ」 の場合だってある。
それでも そのほかの、何千通りのAH−や「ああ」
をやった事がある人が言う(歌う)のは、ぜんぜん違ってくる。
重いものを知ってる人が 軽いものを 歌ったり演じたりするのと、
軽いものしか知らない人が軽いものを 歌ったり演じたりするのの、
違いを あの子たちが、見比べる機会を持っても、
同じ事を 熱くなって議論するのだろうか?
色とか、味 って 塗るんじゃなくて にじみ出てくるもんだと
思う。
歌い手が、役者さんが、自分を疑う事さえ忘れ 歌い 演じてる時に
勝手ににじみ出てて、むしろ客席側のほうが 本人よりはっきりと
感じるもんだと思う。
なんて 書くだけ書いといてなんだけど 5年後10年後の
自分が これ読んだ時 冷ややかな目をしつつ
苦笑いしてたりして・・・・・・・・・・・。
おやすみなさい。
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