今日も生きてる。明日多分。今日は どんな人、どんな事に巡り合えるかな?
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2004/12/31(金)     今年もお世話になりました。

 今年も 残すところ23時間5?分 (書き終わる頃どれ位かわかり

ませんが。)

 いろんなことがありました。

 僕にできる事、どれだけ出来ただろう?

 僕にしかできない事 どれぐらい出来ただろう?

 出来ずに過ごしてしまった事、どれ位あっただろう?

 スッゲ〜〜沢山 出会いや再会がありました。

 幾つかの別れもありました。

 ひたすら 真実を知りたくて 知らなくていいよって

言われるほどに知りたくて、それを知って痛い思いもしました。

でも後悔はしていません。

 僕にまだ足りないのは自信です。

 自分の小ささも見えたし、

 自分の思ったより大きかった部分も見えた。

 なのに、まだ足りないのが 自信です。

 プライドもクソもなくなって、ボロボロにもなってみた。

 お陰で、ほんの少しは 自信がついてきました。

 いつも、何がしかの助けがあって、それはミュージシャン

同士とはかぎらず、そんな人々に助けていただき、

でも僕は不器用だから、

音楽と少ないお金でしか返せず、心苦しく思う事も

沢山ありました。

 だから 力になれると思ったときに、肩に力が入りすぎ

空回りする事もしばしばあったように思います。

 しみじみと1年を振り返るなんて、ホントは 初めてなんです。

よく言えば、いつも現在進行形、悪く言えば区切りのない人間だったか

ら。

 今だって、何も終わっていない。

 何ひとつ自分の中で完結したものはない。

 返しきれた“恩”もひとつもない。

 だから 死ぬわけにも行かず、

恩返ししきれずにいる皆さんに、来年も活き活きと、

いい年を迎えていただきたいと願わずにはいられません。

 オイラと来たら もう亡くなった人にまで

世話になってる。

 ある なくなった方の身内の方が、何故か僕の事を覚えていて、

多分葬式の時さえ言葉も交わしてないのに、音楽がらみの仕事を

紹介してくれました。

 朝日のまぶしさに 全ての事への感謝の気持ちが湧いてくる間は

何とか生きていけると、思っています。

 今年もお世話になりました。

 来年も 良い年をお迎えください。

      おやすみなさい。

  

 

2004/12/28(火)   今年のステージを終えて・・・。
 26日をもって今年のステージを無事終えることが出来ました。

 皆さんに多大なるお世話になり 大変ありがとうございました。

 自分を 売り込んだりする事の下手糞な僕が、

 何とか生かされてる。

 美人管理人さんにホームページ作っていただき、

  また、僕の音楽に触れてくださった方々のが

ご紹介くださって、僕はいろんなところで

ピアノ弾いたり歌歌ったりして

何とか生かしていただいてます。

 教室の方も、生のステージを通じて、僕が得てきた中で

いいものだけを

なるべく生徒さん達に伝えて生きたいと言う僕の思いが、

だんだん(まだまだ磨かなきゃですが)少しは旨く伝えられるように

なって来ました。


 そうそう ちょっと不思議な経験をしました。

 満天楽宴 レッスン ホテルのショー 23〜26日にかけて

連続のレストラン演奏、25日の某デイケアセンターでの慰問

を終え、26日の忘年会ライヴで、僕は、“し〜ぬ〜ぅ”

と思っていました。

 慰問の仕事辺りでは、肩に鉛が入ったみたくなってて、

栄養ドリンクガバガバ飲んでみたりしてました。 

 但し心は健全なモンで、疲れてる自分が快感でさえありました。

 不思議とステージに立ってる間はシャキッとしてられて。

 「今日 俺ぶっ倒れるかもしれない。そしたら面倒見てね。」

なんていいながら忘年会ライヴに臨みました。

 エノティカには、今年からお世話になってる皆さんがいて、

そこへ、ライヴで1度はご一緒したようなミュージッシャンばかりが

集まってきて、乾杯の時には赤い甘いお酒2杯目でした。

 俵屋さんもいる、印度目多信さんもいる、僕に“色即是空”を説いて

くれた一休さん(本業はお坊さん)もいる、ニャン子先生もいる(今

日はいつもよりベッピンさんだ。)HITOMIさんもいるし・・・

見渡すかぎりお世話になった人たち。

 今年の1番の収穫だった“教訓” 感謝の気持ちは

自分をいい具合に信じてると、腹の底から勝手に湧いてくる。

 感謝しなきゃって考えてすると、どこかギクシャクする。

 それが実感できました。

 で更に最近、自分をぶっ壊しにかかってますが、

ジンクスを打ち破る とかってチマチマやってんじゃないよ!

 と2杯目のお酒にいわれた気がして、それからは、最後まで、

あんなに用意してあった歌詞カードも、コード符も、何も見ないで

共演者の呼吸を感じてピアノを弾きまくりました。

 (唯一見たのは 一休さんのオリジナル曲のコード割りだけ)
 
 驚いたのはその後、いつしかあんなに廻らなかった首が

肩が、全然凝ってないんです。

 肩が重いとき、アレだけ体重かけてピアノ弾きまくったら

ぶっ倒れそうなもんだけど、肩こりが治っちゃったんです。

 曲想もまちまちで、天使のようなフルートの音色と

寄り添うようにピアノ弾いたかと思うと、激しいアコーステッィク

ロックだったり、いろいろ。

 メジャーセブンス系のホンワカした和音に身を浸すと

アルファー波がでやすいだとか何とかって、

 どんなにヘリクツこねて考えても、答えなんかでない。

 でも、ちゃんと感じる事が出来ました。

 心も体も、オープンになってみんなの音楽と解けていく自分を。

 そして アルコールも程よくとけて、コリの塊が

蒸発していく感じ。

 次の日に残ったのは心地いい疲ればかりでした。

 祭りの後の寂しさも今回はない。

 みんなときっとまた会えるし。

 ってな訳で、素晴らしい音楽に参加して

ピアノ弾きまくったのに肩こりが

 治ったのは ある意味不思議

でしたが、どうか肩こりを治すのを目的に

無料体験レッスンを受けに来ないでください。

 幾つかの条件が重なって、治ったのであって、

 ピアノを弾いて肩こりが治るのではありません。

 
 

 
 

2004/12/25(土)     メリークリスマス!!
 クリスマスですね。

 クルシミマスじゃなくてクリスマス・・・。

 もう一頑張り、もう1頑張りで僕の

今年は峠を越えます。

 残すところ、レッスン以外は 

慰問1 BGM1 ライヴ1これを今日明日でこなせばOK。

 全て 順調 覚悟は大げさにしといたから、全ては、

思っていたより“楽”。

 ラッキーな出来事のおまけが、全てについてきてる。

 見事なまでに、全てに。

 今はそれらを語ってる時間がないのですが、

26日を過ぎたら・・・。

 皆さん風邪などめしませんようお過ごしください。

2004/12/22(水)           リハで酒
 
 皆さんいかがお過ごしですか?
 
 僕は お陰さまで 気持ちばっかりクソ忙しく、

よくよく見れば本日の午前中までは、こなせないほどの

忙しさはなく、多分これから先26日までは、

確かにぎゅうぎゅうにステージも詰まっており、

 でもきっと何とかなるのだろうと思いました。

 これは 自分にかけたおろかな呪縛でした。

 我ながら小心者です。

 年末は、師走と言って 

忙しくないといけないような気でいました。

 きっとそうじゃないと不安なのでしょう。

 心がニュートラルじゃない。

 そんな事を 理屈ではわかってる僕なのですが、

自分の事となると、そういった理屈を 

どう当てはめていいかわからないでいた。

 でも ある人から 蛇の話を聞いて

はたと気がつきました。

 人の悪口とか、口汚い事を言ってると

「口から蛇が出ちゃう。」といって、

 丁度いいところ(さんざん言ってからかもしれないけど)で、

口や悪口を止めるそうです。

 「でも 言ってる時点で もう出てますから〜!」

なんて突っ込みいれて見て、思いました。

 余計な呪縛にとらわれすぎてる自分に

気付かされました。

 好きな人が、汚い言葉をもし使っても、

 嫌いにならない。

 むしろ、リアルなその人を見れて安心する事さえある。

 ついこの間も 僕の心をすっきりさせてくれたのは、

 美しい言葉ではなく、「バ〜カ!」って言いながらの、

大事な友達の言葉だった。

 「光さんは 絶対人を傷つけない。」って数人言われて、

 すまし顔で、ごまかし笑いして「そうですか〜?」

なんて肯定も否定もせず、その場は喜び、

後で、そうあらねばいけないって、プレッシャーに変る。

 自分で自分に呪縛をかけてる。

 でも、本当に言葉を選ばなきゃいけないのは、

他人ですね。初対面の。

 時として自分の大事に思う人に対して傷つけまいと、

すっごく言葉を選んじゃうときがあるけど、

 僕の場合は、逆の事が結構多いんだって気がつきました。

 ある程度気心の知れた人にこそ、気になれば気になるほど、

「はっきりいうけどさ〜」って言葉選ばずに、正直に

いわなくちゃって思いました。

 本当に思った事 強く思った事は、

相手が大事に思えれば思えるほど、はっきり言わなきゃ、

小心者のいい子ちゃんの自分を変えるべきなのは、

それを見出す僕の周りの人じゃなく、まず 自分からだぁ〜〜!

 って思ったんです。

 “聞きたい話ではないだろう。

 旨く伝わらなかったら嫌われるかもしれない。”

  そんな事はわかってる。

 でもちゃんと勇気を持っていった場合、

 後に残るのは いつも本物でした。

 気休めだけの うわべの 安らぎの言葉を求める人は、

どうせさってゆく。

 自分もいたい思いをして はっきり意見を言ったなら、

本物の友達は、その時は、口論になったり

喧嘩になるかもしれないけど、その後更に本当の

友達になれる。

 そんな事は100も承知のはずでした。

 優しいって言われて、弱くなる自分。

 傷つけないって言われて、言葉を選びすぎる自分。

 ごまかし笑いする自分。

 ば〜かば〜か〜〜!あほ〜〜!くそったれ!

 綺麗事いってそういう自分を抱きしめてあげて、

 自己を統合する??

 そもそも 自分はそんなガラか?

 喧嘩も出来ないやつと分かり合えるとでも思ってたのか?


  と そんな事を思いつつ、 自分のジンクスを

ぶち壊すべく、忘年会ライヴのリハを、酒を飲みながら

やってみました。

  自分の事・・・・

 マイナーチェンジはしてたけど、

  モデルチェンジに近くなるかも。

 まいいか? や よくね〜な?

 いいよ〜〜〜! 迷うんじゃないよ!!

2004/12/20(月)        ホテル(一足早いクリスマスプレゼント)
 いつもやってる振りしたいところですが、

 正直言うと久しぶりに ホテル のショー形式の仕事

しました。

 現場は 寄寓にも音楽仲間のNさんが披露宴やった

外国の図書館のイメージで作られた部屋でした。

 スポンサーさんは古くから続く老舗(ロウホじゃないよ

シニセだよ)の呉服屋さんだから、

ホストのお客さんへの接し方を眺めてるだけでも勉強になる。

 それだけではなく、ミュージシャンも大事にしてくれる。

 ありがたいかぎりです。

 更に嬉しかったのは、グランドピアノを予定外の

予算を組んで使わせていただいた事。

 予算に応じて出来るだけ喜んでもらえる仕事する

と言うのが僕の基本スタンスではありましたが、

やはり、本物のピアノがいい。長丁場になればなるほど。

 僕のキーボードは、結構いいヤツで確かに300を超える音色

を出すのですが、してみると頭だけで考えるとそっちの方が

よさそうにさえ思えるのですが、ところが、食事中のBGM

から、後半のスポットのショーまでづっと聞いてて飽きないのは

何故か 生ピアノなんですね。

 電子音と生楽器の音の違いは、体感するしかなく、

勿論場合によってはシンセサイザーの方がいい場合だって

あるのですが、今回はやっぱりグランドピアノ使えた事が、

すっごくすっご〜〜くうれしかったです。

 多分 今まで一番枚数の多い写真に納まったのも

この日のBGM演奏でした。

 一足早いクリスマスプレゼントは、宴を楽しむお客さんの笑顔

頂いた花束、手作りのキーホルダー、予定外の生ピアノ、

っておいおい、サンタのかっこしてBGMから始めたのに

頂いてばっかじゃん!? 普通サンタはあげる側だろ(自分突っ込

み)。

 そしてもう1つ、閉店後のホテルのレストランで

充実感の中お食事を頂きました。

 時間の関係で閉店後になったのですが、状態としては

貸切なわけで、店員さんにはちょっと申し訳なかったけど、

なかなか出来ない贅沢な経験をさせていただきました。

 お客さまは勿論、 若旦那、店員の皆さん、

  ありがとうございます。

2004/12/19(日)     それぞれの音楽

 それぞれの人は、それぞれの季節みたいなものを

過ごしてて、その時期なりに、

 それぞれの音楽があって、
 
 味わい深く楽しいばかりの音楽に

 ふれ続ける人もあれば、

 それを生きるための何かの糧としてしまい、

先にあるものを目指し苦しみさえ味わう人も

 いるなぁって思います。


 どちらも 音楽。

 本人が歯を食いしばり苦しんで

何かを手に入れたいと言うなら

それも真面目で立派な考え方でしょう。


 でも ホントは楽しんでもらいたい。

乗りかけた船を放り出せば、あとはおぼれるだけだから

手に入れるまでちゃんと付き合います。

 年末の荒れる風に吹かれながら、

いろいろと思いあぐねるヒカルでした。

 とは言え、音楽仲間のみんなを思うとき

 やっぱりあったまるんだなぁ 心が。

 僕にとっては救いでもあるんです。

 仕事だけじゃなく。

2004/12/12(日)  ベロさんベロベロ!
 (今日の日記は、かなり言回しがリアルで、一部誤解を生じやすい

為、お読みいただける方は是非最後までお読みください。)

 
 上目黒の 焼き鳥屋さんでベロさんの主催する

忘年会があり、声をかけてもらいました。

 すき放題言われながら 気持ちいいのは

僕にとって多分この人と数人しかいない。

 それでいて、すき放題言うのは この人しかいない。

 気がついたら、出会った頃生まれた人が早ければ

子持ち、あるいは所帯持ちになってるほど長い友達で、

お互いぞっとしない。

 「ば〜か!何だよヒカルって? 止めた方がいいよ

大体おまえの日記さぁアハハハハ〜! 恥ずかしくって

読めないよごめんね笑っちゃってアハハハハはは!!!・・

ばっかじゃないの!? お前 霊とか何とか

言い過ぎなんだよ。 言っとくけどお前が思うほどないよ

そういう因果とか何とかって・・ミュージシャンだろ?

その前にやる事あるだろ?・・・」

 ベロさんが どういう人で、どんな生き方をしてるか、

知らない人が文字だけでこれ読んじゃったら、とんでもなく

口が悪くて・・いや 口が悪いと言う部分においては事実だし、

帰り道夜遅くにケーキ屋の前を通り際、酔った勢いもあってか

ベロさんは「こんなクソまずいケーキ屋に行列して買ってる

馬鹿がいる!」なんていってたから、口が本当に悪い。

 ケーキ屋の前で、僕は大声で笑ってしまいました。

 アレを言ったのが、他のヤツだったら即座に他人の振り

してただろうに。

 でも彼には素晴らしい人が寄ってくるんです。

 生徒さん達も彼を信頼してるのが ありありとわかる。

 今書いてるここまでの文じゃ 察しも付かないと思いますが

 ベロさんは口は悪いけど 僕が聞かなきゃいけない

大事な言葉をいっぱい持ってる人です。

 きっとのんでる時の本人に言ったら

「ば〜か!いっぱいじゃなくて全部だよ ぜんぶ〜!」

って言われるだろうけど。

 「うるさいな〜!」とか、

 「そこまでいってないでしょ!?」

 とか、そんな相槌ばかり打っていた僕ですが、
 
 終始毒舌の中のひさしぶりの再会、それでもバリバリやってる

彼の生き方に気おくれする自分をいつの頃からか

ずっと感じてた僕に彼が発した一言が

僕に大事なものをくれました。

 「お前はやってるよ。」

 たった一言のこの言葉が、

僕にとってどんな意味があるのか、文字では

とうてい書き表せません。

 してみると、のんだ時のベロさんの口の悪さばかりが

強調されてしまう日記になっちゃったけど、

 違うんです。

 彼と一緒に飲んでて もし 彼の毒舌が原因で

誰かに殴りかかられたら 1発だけは付き合いで

一緒に殴られてから 彼をつれて逃げようと思いました。

2004/12/11(土)        涙のわけ
 久しぶりに会ったあの人の涙を見ました。

 理由付けも フォローも いらない気がして

 余計な事は聞きませんでした。

  まさか次は僕の番だとは この時思いもしませんでした。

 つのる話もあるようなないような気がして、

 一緒に お茶を飲みました。

  お母さんの話しが出ました。

 心理学の勉強の為、いろいろと話を聞くらしい。

 「すごくいい勉強してるんですね、素晴らしい・・。」

 僕の亡くなった母の話も少して、また彼女の話を

聞いていると、ある瞬間涙が出そうになりました。

 こぼれこそしなかったその涙はばれており、

 彼女は「あっ ごめんなさい。」って小さく言いました。

 恥ずかしいけどばれたんじゃ仕方ない。

 でも 1つだけ 言いたくていえなかった事がありました。

 悲しかったんじゃなくて、

 嬉しかったんです。

 “母親”という存在が必ず思う事を

 教えてもらって。

2004/12/10(金)     よくわからない 理屈
 よくわからない理屈をこねました。

 我ながら訳わかんない。

 ある人が 年下の異性を異性と見られない って

言った事がきっかけでした。

 そんな話は、どこにでも転がっており

本当は「うん そう?」で終わる話の筈でした。

 でも、このときの前後の話しの流れから僕には

それについて何か違和感を感じ、

我ながら訳のわからない理屈をこねました。

 「でもさ たとえば 確かに36歳から見て

31才は年下だけど 2036才と2031才って殆んど

同い年じゃん?

(仮に万が一実際そうなっても5歳分年上のプライドを

持ち続ける人もいるだろう?) 

 人間の歴史の積み重ねの中で現在があってさ、

今当たり前に使ってる電話も ましてやコード

の繋がってない携帯も昔の人から見れば魔法みたいで、

そんな長い間かかって出来てきた現代に生まれた僕らは

DNAにも進化の歴史で大事なものが刻まれてて、

だから 僕らは 少なくともいきなり2000才ぐらい

底上げした年齢から始めてるともいえるんだよ。

(我ながら乱暴な理屈に笑える、大体2000歳って

どこから出てきた数字だ。)」

 あまりに無理がありつつも 何となく笑える

ヘリクツこねちゃったので ちょっと書いてみました。

 勿論深い意味はないけど・・・・。

2004/12/08(水) 話せないこと

 講師という立場のせいでしょうか?

 知ってる事を人に言いたくなるのは。

 でもそれが、お茶濁しの薀蓄話なら可愛げも

あるのですが・・・・。

 過去に似たような苦しい経験をして、

見つけ出した答えを、話してしまえば、

相手も楽になる筈なのに、

それを話してはいけない場合があるんですね。時たま。

 それは決して 相手の学びを奪うからなんて、人を

上から見下ろした考えからではなく、

 ただ単に その人が苦しんでる理由を、

僕が知っていてはいけないからだったりして・・・。

 痒いところに 手が届かないもどかしさは、

多分他のところをつねってみても 消えないのでしょう。

 自立だのプライドだのって 後付の言葉に

目標を置いちゃってる人にほど その歯がゆさを感じる。

 自立してる人ほど 自分一人で立ってるんじゃないって言う。

 プライドだって 捨てて捨てて、最後に残ったひとかけら

だけが、実は本物だったりする。

 でも これは、自分にこそいえてる事で、

 人のおせっかいどころじゃなかったりもするし。

 もう少ししたら答えらしきものに 

たどり着けそうな気がしてます。

 答えとなる孫の手が見つかる頃

すでにもう痒くなくなってるかもしれないけど。

 え? “これって下手の考え休むに似たり”ってこと?

2004/12/07(火)     ハッキリする事

 はっきりするのはいさぎよくて、

 気持ちいいですね。

 間違っていない事

 ○○は ○○だ(です)。

 みたいに断言型のシンプルかつ力強い言い方をする。

 訊いてる方は 安心感を持って聞くことが出来る。

 その場だけ取ってみてみればこれほどいいことはないけど

あまりこういうことしすぎると、

後でその例外への言い訳に追われる。

 「あの時先生は大丈夫だっていったじゃないですか?」

   って。

「いや言ったけど、恋愛まで同じ考え方で旨くいくよとは・・。」

 ・・・みたいなぁ。

 今こんな事はありませんが、

 はっきり断言型の物言いで、有名になってしまったひとが、

テレビで「それは そういうことじゃないの・・いい?・・

あのね・・。」 って人を諭すようなスタンスをキープしながら

言い訳に追われる姿を見て遠い過去の向こう見ずな自分を

思い出しました。

 その場だけ、安心させる為に、いったんその人の不安感を

あおってから、断言型の物言いで、

こうしとけば大丈夫だからと 言う事を聞かせる。

 これじゃ 洗脳だ。

 信頼関係を築く過程と、ただ自分を信用させる為の、

心理テクニックは 言葉にしちゃうと紙一重だけど 

全然違う。

 だからこそ大事にしきゃいけないことが

 沢山あると思う今日この頃でした。

 

   

2004/12/06(月)    体験レッスン

 数日前体験レッスンをしました。

 んで、 思いました。

 人は多かれ少なかれ “自分の見方”という

色眼鏡越しに、人を見てしまいがち。

 一見、客観視を目的とした 企業が作るアンケートにさえ、

そのかぎられた選択肢にそれがでていたりする。

 生徒さんが 教室を選ぶ目安の筈の体験レッスンが、

 実は自分の事を教えてくれる事にも気付かされます。

 いろんな人が いろんなものを持ってくる体験レッスン。

 ある人は 可愛いちっちゃな

 ある人は 大きくて真剣な

 それぞれの夢や希望を持って、

 そして、時にある人は、単なる暇つぶしに。

 そのどれもを、感じながら、僕がどれだけ

この人に答えられるのかな? って思うとき、

 自分が 見えてくる。


 初めから ある程度できちゃって 耳のいい人には、

こんなレッスンがいいかな?

 音感が本当はいいのに 自分は音痴だと思い込んでる

人には、こんなところからレッスンするといいかな?

 まだ引き出しに こんなものもあった、

 あんなものもあった、 最近使ってないから

僕の中で錆びていて、このことは僕自身チョット復習

しないと教えられないや・・・ 等等・・・。

 日ごろ雑念だらけの自分ですが、こと体験レッスンの時は

余計な先入観抜きでピアノ越しに 音楽越しに人と

相対する時 自分の事までかなりいい線で客観視が出来て

 自分の意外な事も発見できて結構楽しいです。

2004/12/04(土)      お守り

 お守りは 高価な材質のものほど 効果が高いのか?

 お守りは 由緒正しい 神社仏閣で売られているものほど

  効果があるのか?

 キリスト教徒が 神社のお守りを、

 または こてこての日本人が十字架をもってては

 お守りにならないのか?


 僕の中では 全て NO です。

 年端も行かない子が お母さんのために

画用紙の切れ端に ぐちゃぐちゃのクレヨン文字で

“お守り”って書いて渡したら、それは最高の

 お守りです。

 僕にとっては、僕が尊敬する全ての人に

頂いた 僕を感動させてくれた 言葉までもが、

すごくお守りになってた事に気付かされます。

 僕は そういう意味では お守りに

埋もれるようにして生きてます。

 いっぱいお守りを頂いてありがとうございます。

2004/12/02(木)  使いたくないんだけど 本当は・・・。
 歌の中でしか使いたくない言葉なんだけど 本当は。

 でも、ここの所やたら見せられる 感じる。

 親子の 家族の 男女の 師弟の “愛”。

 なんか みんなすげ〜!!。

 恥ずかしいんだけど 言葉にしちゃうと、どれもちゃちに思えて

ちゃんと当てはまる言葉が見当たらない。

 オイラ これでも詩人か?

 体いっぱい感じる事しか出来ない。

 胸がつまる思いで 旨く行きますようにって

 祈るしか出来ない。

 いろんな物語が 同時進行でおきてて、それは

全部ブラウン管の中じゃなく、現実でおきてて、

みんな誰かを必死に守ろうとしてて・・・。

 理屈じゃわかってる。

 でも、そんな人たちに簡単にはいえない。

 “その人の為にも自分の事も、愛してあげてください。”

 
 世の中じゃ 殺しあってる人間たちもいるのに

素晴らしい人達とばかりであって、ちょっとまぶしすぎる。

 どうしよう? いっぺんにいろんな物事考えるの

取り合えず止めて、また神社にでもいってきます。

2004/12/01(水)  いつも なの いつでも なのぉ〜〜!!

 いつでも 今 笑っていたいんだと思った。

  それも 心から。

 よほど悲しい出来事があったならともかく、

 いい天気だね の一言で、

 充分和やかな気持ちになれる。

 そんな わかりきったそれでいて大事な幸せ、

一々自分に言い聞かせながら

生きてては なんか 面倒くさい。

 その場しのぎの笑顔で生きてた頃の自分は、

 そうしなきゃ生きてられなかった。

 でも今の僕は せっかく心から笑えるんだから。

 うそ臭い と言われても、

 芝居がかってるといわれても、

 うるさいよ〜! っていいながら

  笑っています。

 笑えること 微笑めることは余さず感じていたいから。

 シリアスだったり、メランコリックな気分で、

笑顔を失ってると、自分から 切ないもの

苦しいものにいつの間にか寄っていってしまう。

 馬鹿と言われてもいい。

 おめでたいやつと言われてもいい。

 わかってくれる人はわかってくれるんだから。

 ゲラゲラ笑えないときは ほのぼのでいい。

 なるべく笑っていよう。

 自分は影で泣きながら 人を笑わせるのが

 美徳だと思う自分はもういい。

 ほんとうに 笑い合えるのが いちばんいいね。

 


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