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2006/05/18(木)
お疲れさんです
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ほぼ毎日終電生活。というのは不寝番の作業のため。今年何回目になるのやら、また大布、白布縫いました。今回が一番大きい!重い!布ってただ縫うだけっちゃそうなんですけど、段々縫ってると目がちかちかして、腰が痛くなるんですよ。結構肉体労働なのです。とくに一色の布って、集中が途切れると曲がってたり食い込んでても気が付かないことも。でも今回はなんとかうまく行ってほっとしてます。スタッフさんも増えたし。売れ行きも上々だしね。お客様に観てもらいたいなあ。
毎日色々あるとは思うんですけど、何かしたいって思ううちは大丈夫なんじゃないですかね。それが例え現実逃避したい!とか息抜きがしたい!なんていうことだったりしてもさ。そんなに大それた自分を創る必要もないんじゃないかと思うんですが、どうですかね。(誰に聞いてんだ。)
この間好意はやっかいって書きましたけど、好意が厄介なのは好意が嫌悪も産むってこともあるんだよなあ。世の中のベクトルってのは上手くいかないもんです。自分の目の前にあるベクトルも邪魔になるときもあるし、まあ、色々です。だからかもしれませんが、素直な子は本当にかわいいと思いますな。これが食べたい、あれがしたい、それが欲しいってはっきり言える子。後で言うんじゃなくて、先に言える人。後で愚痴愚痴言うのって、たとえ自分が関わり無くてもやだなあ。すごく紙一重のことなんですけど、好意から派生して、相手やそのものに真っ直ぐなときはどんな無茶もワガママもすごく好印象に思えるんですが、好意を注いでいる自分、が主体になってくると嫌悪感をもってしまうもんですね。何がどう違うんじゃ、って言われても、これがこうでとはいえないんですけど。
つれづれなるままに書いちゃってるんで、よくわからないと思いますが、ごめんなさい。今日も作業の説明で「五枚が二枚と四枚がひとつと二枚が一枚です」って言ったら、舞台部のSさんがぽかーんとして止まってた。ごめんなさい。間をかなりはしょって話してしまう悪い癖です。ああー、5月公演で一番反省したことだったのに・・・。
うおー、話がすっとびすぎた!戻せ戻せ。
えーっとなんだっけなあ。 とにかく最近後輩に優しくなかったり、地球に優しくなかったり、なんかそういう色々反省点があるわけですよ。でもまあ、そんなんでもですね、なんかもらったりすればすぐぴょーんと元気になったりするわけですよ。(最低だ。現金だ。)で、そういう時に思ったのが、好意はやっぱりやっかいじゃなくて、飴玉一個でも気を使ってもらえば嬉しいもんだし、人は安心するんだなあ、と。そういう気を全然使えてなかったなあ、最近。たとえその飴が、ポケットに入れっぱなしでも、もらったもんでも、なんでもよかったんだなあ。それは言わなくていいことだし、気を使って飴あげますよ、っていう自分は気持ち悪いし。飴あげる、だけでいいことの方が世の中多いらしい。
付け加えれば、相手が飴が欲しいのか水が欲しいのか、その辺もちゃんとわかるといいんだろうね。いい人なんだけど、ちょっとなあ、って時は、その出すものが間違ってたりするんだろうなあ。
そんなこんなを最近学習しました。
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