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2005/10/11(火) 死生観
本日奥松かつらに無事かつらを返却し、とりあえず一段落したドンです。結局昨日の「しとやかな獣」の仕込みも全参加&飲み参加、今日も朝から作業参加してたり。いくら好きでもあんまり一人で作業参加しすぎちゃダメなんだけど・・・でもつくづく思った。舞台ラブ!創るって最高だ!もし今死んでも、悔いはあっても後悔はないな。うん。

今回の三作品。テーマは「戦争と現在」。個人的にそれより強く感じるのは「死生観」。「湖の秋」は死ぬことについて。死がメインで、死が生に食い込んでる。「三ちゃんと梨枝」は死に対抗するように生がある。死があるから生が成り立って、生が強いから死も強くなってしまう。「しとやかな獣」は生が死を凌駕している。(実はまだ一幕一場しか見てないんです。)生きることの獰猛さというか、死はスイッチでしかないようなもの。面白いことに死生観という言葉通り、「死」から「生」へ向かってるんだよなあ。生死観とは言わなくて、言うなら生死間ですよね。日本人にとっての生と死って不思議だ。「死」を敵とは思わないなあ。目指すものでもなく、受け入れるものでもなく。当たり前のものなんだろうか、ひょっとして。

マクロ的にみれば「死」は怖くないけどね、個人として「死」が隣にくるとやっぱり怖い。(「死」があらゆることに許されるのは畏怖の念があるからかも。)自分が死ぬことよりも、「死」によって誰かを失うことの方が怖い。死ぬ前に側にいたいという気持ちと、死の瞬間にはいたくないという気持ちがあるけど、自分が死ぬ瞬間にはどうなんだろう。誰かに見取ってもらいたいだろうか、それとも、見られたくないだろうか。そこにもう自分がいないのに、肉体だけは存在してしまう矛盾。肉体があるならその人は存在するのだろうか。失った後で後悔するのはどっちだろう。「死」を受け入れなければ、人の心の中でいつまでもその人は「生」を得るのだろうか?もう死んでいても?いつまでも生き続けることは、美しいようで、どこか歪んでいるのではないか?生かし続けることは誰のためなんだろう。

「死」と「生」が人に関係する限り、「情」も切り離せないね。特に日本人の死生観には。人は「情」で生きるものだから。「情」がなくなったら死んでしまうのかな。「情」があるから生きられるのだろうか。生きている人にしか「情」は伝わらないね、というか伝えられないし、自分がちゃんと生きていないと。自分が生きることを選んでいなきゃなあ。生きるなら伝えないとだめなんだな、きっと。ちゃんと現実に、目に見える存在でいられる間でしか、目に見えないものを伝えられないって面白いね。
目に見える形で返せる内にできるだけ受け取りたいね。死んだら幻はきっと沢山生まれてしまうだろうから、生きてる間は嘘はないほうがいいんだと思いたいな。まあ、嘘じゃなくても意地や逃げなんてのはあるからなあ、人間社会生活を営む限りはなあ。

そんなことをつらつら考えながらBGMはHIROMI GOに突入です。「不倫したい〜君となら〜」なんて歌うGOの声を聞いていると、なんだかんだいったって人間こんなもんか!と思って( ´ー`)どーでもよくなりますね。明日の朝ごはんの方が気になってきちゃったり。ま、とにもかくにも、明日からバイトです・・・_| ̄|○


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