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2007/11/18(日)
ひん曲がっちゅうきねーーー、、、
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実はこのごろちょっとイラッとくることがある。
「○○山に登った。」
と嬉しそうに話をする人がいる。私より年配の女性である。 たびたび登っているわけではない。が、普段からやたら花の話をする。 先日も、初めて登ったという、四国ではポピュラーなその山に咲いていた 花のことを嬉しそうにずうっとしゃべっていた。 私は、冷たいようだが自分がしていた作業を中断してまで真っ直ぐ聞いてあげる気には どうしてもなれなくて、黙って作業を続け、もう一人の女性がその人の話に相槌を打ってあげていた。 話はなかなか終わらなかった。 私は、事務作業の手を止めて、トイレに立った。 はあ、、、。 耳は、 閉じることができないからなあ・・・。
その人の、花を愛でる気持ちは曲がってないと思う。 だけど、、、
その辺の野辺に咲いている野草を手折ってきて、 「これ、おすそ分け。」 とか普通に言うのを再々見ていると、 その、山に咲いていたというホトトギスも、リンドウも、 まさか同じように手折ってきてないよね? とか思ってしまう。
「ちょっともろうて来て植えちゃおと思うて、」 「う、植えちゃお?」(←ついに黙ってられなくなって、口から出た) 「いや、種やけど。」
ほんとに種かよ。 それに播種しても平地じゃダメだろ。
「種もほんとはイカンと思う。」
家に持ち帰りたいという気持ちが、大人気ないと思う。 野草の花が好きだから飾りたい、という心は、それは素直なものだと思う。 その女性は私よりだいぶ年配なのに、わたしよりずっと素直で無邪気な心を表に出し、 そしてそれを見る私の心は、曲がるのだ。 だから、イラッと来てしまう。
今日もまた花の話をしている。
「昨日、カワラナデシコの苗をもろうた。」
鉢はこんまい(小さい)けんど、家に飾ってなんとかかんとか、、、、、
それって、園芸品だろうね? カワラナデシコは、四国の山でもポツポツ自生しているのを見る。私も好きな花だ。 が、ポツポツと咲いているのをたまに見るだけである。
「苗をくれた人はよく山へ行って、なんとかの花を探したりしゆう人でね、、」
とか言っている。それって私がこの場にいなかったら、 「探したり」の部分が「採ってきたり」になるんじゃないの?
高知では、山で植物を採取することにあまり衒いがない人もけっこういる。いや、いっぱいいるようだ。 自宅で、格好のいい野草用の鉢に入れて愛でたりとか、、。 売ったりするなんてのはこの際論外として(論外だけど、いるのだ。)、、、
それ、『採取』じゃなくて、『盗掘』だ。
お花はきれいだから、これ、明日職場に持って行って飾っちゃお、、、
そんな素直な気持ちで飾られた野辺の花を、日々あちこちで見る度に、 私の心は今日も煮えこけたマカロニのように曲がってゆく。 (マカロニって、茹でる前から曲がってたっけ?爆)
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