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2005/07/18(月)
単独やといろいろ浮かぶのよね
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昨日今日と、けっこう急勾配の斜面を下る場面が多かったせいで、 今日は太腿の前側が筋肉痛。。 やっぱ地べたを踏み締めて生きるのは根性いるなあ。(^・^)
今日の三嶽越古道歩きは、梅雨明け前の大雨の影響か、 峠までの植林帯も水に洗われて、土が持っていかれてる場所がけっこうあった。 前回来た時いっぱいいたカニも今日はぜんぜん姿が見えなくて、 踏んづけちゃう心配をせずに登れたのはよかったけど。
足元には、すでに木に止まっている力が尽きて地面の上で羽根をじたばたさせているセミが何匹もいて、 そんなバタバタ音を立てたら天敵に気付かれちゃうだろうに、、 なんて思ってふと、いやあ、大きい意味で言ったらそれもお役目と言えない事もないのか、、 なんてことに気付いたり。
きびしいのう。
尾根に出てからエボシ岩目指して急登、その先から横がけの道を ひたすら進むも、 土が落ちた登山道は足元がザレていたり緩んでいたり…。 でも昨日の、牛の背から下山途中、崩壊場所を2度渡ったのに比べたら ぜんぜんマシやと思いながら我慢して進んだ。 そう、我慢して…。
足元が危なっかしい山道を渡るときって、早く過ぎてしまいたい時間なわけで、 できれば時空を越えてしまいたいぐらいの気分なんやけど、 考えてみれば、そんな時間も同じ自分の一生のうちのひとコマなんやから、 早送りしたいってのもちょっとなあ、ってふと思った。 今日初めてそんなことを思った。
今踏み出す一歩に気持ちをおいて、生きてることの連続を感じながら行けば、「ああイヤだ」の概念が消えていく。 なぜなら、ザレ場を渡る→足を踏み外す→こける。下手すりゃ死ぬ。←だから「イヤだ」と思うわけだから。
技術も根性も体力も、てんでへなちょこのあ〜ぴょんは、そんな、 「魂を込めて渡れば渡れんことはない感じ」の狭い横崖道の途中で、エボシ岩到達前に撤退。
また来るぜっ。(いつかな?)
アケボノツツジの表年の春には、また整備してくれてるかもしんない。 それを待つのも一考。でもたぶんその前にまた行くやろな。。
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